(元記事:2020年1月末)
皆さんおはようございます、猫枕です。
や~っときたきたはてなフォトライフ❗️
写真が簡単に付けられます。
気付いたのは、今日10月16日の夜8時過ぎのことですが、
やっと正月を迎えた感じです❓️
ところで、2020年1月23日、元欅坂46平手友梨奈が卒業じゃなく、脱退を発表しましたね。。。
レギュラーのラジオ番組で脱退発表
黒い羊 そうだ
僕だけがいなくなればいいんだ
番組の直前に文面で発表され、ラジオのレギュラー番組 GIRLS LOCKS ❗️
の彼女のコーナーにて【黒い羊】をかけながら明言されました。
番組は3月まであり、
『来月の放送では笑顔で逢いましょう』
と、2月まで出演すると意思表示して挨拶されました。
名曲【旅立ち】をまたまた思う
(出典:舞鶴華澄)
私の瞳がぬれているのは
涙なんかじゃないわ
泣いたりしない
この日がいつか来る事なんか
二人が出会った時に
知っていたはず
これは1977年1月25日、松山千春21才の時のデビュー曲ですが、
若造が既に人生を達観している名曲じゃないでしょうか❗️❓️
デビュー43周年おめでとうございます。
【松山千春の旅立ち】的お別れなんか人生で何度でもある
自動車教習所にて
(出典:twitter.com)
ワタクシ23才、学校も仕事にも行かずに引きこもっておりました。
が、親の勧めで車の免許を獲りに行きました。
そこでちょくちょく見かけて、ワタクシもあちらさんも好意を感じておりました。
しかし、卒業すれば来ることがないのは当たり前です。
彼女は最後のバスに乗り込む時、うるんだ瞳でまっすぐにワタクシを見つめて、
バスの入口でかなり立ちっ放しでいたのですが、
結局いつも通り見るだけで終わり。
強く振り切るように踵を返してバスに乗り込んでいきました。
それがつまり、
【この日がいつか来る事なんか二人が出会った時に知っていたはず】
という場面です。
それで終わっていたら、【松山千春の旅立ち】的お別れで、甘酸っぱい青春だったのに、、、
『こんなに別れを悲しまれたことは初めてだった』
ワタクシは、思い切って電話して、卒業後付き合いたいと目論んだのですが、
下手な電話で地獄巡りが始まっただけでしたね~~~
千春先生の言う通り【別れる日はいつか来るんだ】と諦めるべきでした。
ど田舎の小さなクリニックにて
(出典:tashlouise.info)
ワタクシは34才で、デイサービスに付属した、全然外来患者の来ないクリニックに勤務して、ものすごく悠長な医者生活をしておりました。
そこで、出会った瞬間からラブラブファイヤーだった22才の女の子と、ハロウィーンの頃大いに盛り上がって毎日毎日デートしておりました。
が、11/1(日)青島までドライブしてから、二人の仲は冷めてしまいました。
しかし、喋り相手は彼女以外になくて電話はずっとしておりました。
そのせいかどうか、ワタクシは3月中旬に突然クビを宣告されて、女と仕事を同時に失いました。
【この日がいつか来る事なんか二人が出会った時に知っていたはず】
9月前の面接でいったんダメだと不採用だったのが8/31になって大慌てで復活採用されたような職場ですから、
いきなりクビになっても、珍しくないことだったに違いありません。
やはり、千春先生の言う通りなのでした。
その後も七転八倒の医者人生ですね~
現在の病院は2000年4月から何とかずーっと続いていますが、内容的には艱難辛苦で実は苦しいものなのです。
氷山の一角しか知らぬ人に
『分かって下さい』
というだけ無理ですが、
実際キツイことばかりです。
【松山千春の旅立ち】など気取って甘酸っぱい経験に涙することなどありえません。。。
最後までお読み頂きありがとうございます。