皆さんおはようございます、猫枕です。
【俺たちの旅】
が日本テレビ系で放送開始されたのは、
1975(昭和50)年、
ワタクシ小6の秋でした。
全46話なんですが、
再放送が非常に多い番組で、
実際に見たのは軽く100回を超えているでしょう。
しかも、
上の写真のDVD-BOXを買って、
さらに全話、何回も何回も繰り返し見てますから、
その主題歌など数百回も見聞きしています。
その時、
3人で汚い噴水の中をじゃぶじゃぶ歩いたり、
(出典:yakume.sakura.ne.jp)
中村雅俊(役名:カースケ)が津坂まさあき(グズ六)を肩車して、
さらに田中健(オメダ)も肩車しているシーンは、
ものすごく憧れたもので、
ワタクシも機会があればやってみたかったです。
(出典:plaza.rakuten.co.jp)
運動会の組体操でこれをやったらいいのに❗
と思ってました。
しかしながら、、、
結局ワタクシは情けない
ワカメ(森川正太)になってしまいましたw
3人の主人公のおまけに付いてきて、
【なんとかする会社】
の言い出しっぺとなった東大浪人生❗
【ワカメ】みたいになってしまいました。
(出典:twitter.com)
ワカメは、
いつもよれよれの着物を着てワカメみたいに見えたので、
そういうあだ名で呼ばれたのです。
(出典:gramho.com)
卒後10年目、20年目、30年目に再会する2時間ドラマもありましたが、
その中で一番若々しく元気溌剌だったのがワカメだったのを見て、
ちょっとだけ気分がいいです。
ワカメは若妻と一緒にルンルンでしたが、
残念ながら、
ワタクシ還暦爺さんは結婚歴なしでございます。。。
主題歌鑑賞(全く個人的感傷)
夢の坂道は木の葉模様の石畳
(出典:trafficnews.jp)
ワタクシ東京浪人時代の昭和58年頃、
西武新宿線中井駅前で実物を初めて見ましたが、
滑り止めには大してなってなくて、
雪の上で思いっきり転んだことがあります。
『兄ちゃん、見事なコケっぷりだね❗』
と婆さんに言われたのが恥ずかしくて、
しかし、
今でもしみじみ懐かしいですね~
(出典:youtube.com)
紀子さんとグズ六の愛の巣へ向かう坂道がこうなっていたのを、
実際に歩けて、
初めて見たときは大感激でしたから❗❗
まばゆく白い長い壁
これもその下宿の近所に寺か神社があって、
白い長い壁が続いていたのを覚えています。
広島で一浪時、
長壁君という同級生が一緒でしたが、
彼のサポートがあってこそ、
ドラマのような舞台にやって来られたんですね~
足跡も影も残さないで
結局東京には3年間、
ただいただけで、
足跡も影も残せず、
愛媛のど田舎に帰ることになりました。
22才の春。
たどりつけない山の中へ
続いているものなのです
正にど田舎野郎が、
『東京で一旗上げてやるぞ❗️』
という思いは叶わず、
元のど田舎の奥の山の中に消えて行ったという話です。
結局ドラマの通りになりました
(出典:ameblo.jp)
【『ひとり』俺たちの旅】
は鳥取大学医学部の2次募集受験にて終わりました。
下宿を引き払ったその足で、
羽田から直接米子空港に向かい、
お受験したのです。
このドラマ自体、
鳥取砂丘で始まって、
なぜか終わりも鳥取砂丘で、
妙な因縁だな~と思ったところです。
ついでに言うと、
このドラマを見た小6時代の担任の先生は【米子】(よねこ)さんで、
お受験フライトが米子(よなご)空港着で、
これまたすごく因縁深いことだな~と思いました。
主題歌の初めのシーンから鳥取砂丘なのも意味深ですね~
東京~鳥取~大分コネクション!?
(出典:amazon.co.jp)
(冷蔵庫にあるワタクシ撮影のもの)
さらにもう一つ因縁があって失笑❓️致します。
勤務先の医局の水はいろはす です。
が、
採水地は3カ所のうちで一番遠い大山(だいせん)になっています。
大山と言えば、
鳥取大学医学部のある地方にあって、
当然その周辺は大山の水でしょう。
大分県なのに大山というのは、
病院側に非常な悪意❗️❓️を感じますね~
地理的に言って、阿蘇が一番近くて便利なのでは❓️
2番目がえびので一番遠いのが大山じゃないですか❗️
PS:最近、鳥取県でも、おかしな因縁付けが流行っているようです。
米子鬼太郎空港&鳥取砂丘コナン空港❗❗
どちらも漫画家の出身地だからというので、
そう名前が付いた模様です。(苦笑w)
(出典:fwinc.co.jp)
そんなら言わせてもらいますが、
ワタクシの勤務先病院は妖怪病院(ワタクシの付けたあだ名)、
ワタクシが初めて東京に住んだのが江戸川区でした。
江戸川沿いを乱歩して、
東京医科歯科大学教養部に行って帰ったことがあります。。。
(出典:amazon.co.jp)
最後までお読み頂きありがとうございます。