皆さんおはようございます猫枕です。
令和元年のプロジェクトで、
僻地の我が部落の小さな公民館にて、
【認知症カフェ出前カフェ】
が1年限定で開催されました。
ワタクシも医者のはしくれ、
ちょっと講話をさせて頂きました。
その第一回のYouTubeはこちらです。
動画を見た方、いかがでしょうか❓️
滑舌が悪く聞き取りにくくて、
元棋士のひふみんを思って自ら大爆笑しておりましたが、
後々暇を持て余してゴロゴロ寝転びながら、
改めて思い起こしていると、
ふと、
高2の時の数学の先生を思ひ出したのです。
(出典:proverb-encyclopedia.com)
彼の授業は【念仏のように】教科書を読み上げて板書するスタイルでした。
約40年の時を超えてあの先生と変わらぬというか、
より無様な講話をかましてしまい、
自分で自分に呆れてしまいました。。。
田中S三郎先生の思ひ出
(出典:page.auctions.yahoo.co.jp)
先生は1980(昭和55)年度に、
隣の大洲高校から我が八幡浜高校に異動して、
2年生の学年主任になられた御方です。
先ず第一に困ったのは、教科書です。
ワタクシは2年でも教科書は【チャート式参考書】で有名な数研出版だと思って、
そのカリキュラムに合わせたZ会の通信添削を注文していたのですが、
田中先生が【中学時代・高校時代】の雑誌で有名な旺文社をチョイスしてくれたお蔭で、
いきなりZ会が使えなくなりました❗
もう遠い昔でよく覚えていませんが、
確か、
微分積分とベクトルの順番が逆でした。
(尚、1、3年の教科書は数研出版でした)
次に困ったことは、
一本調子の教科書の棒読みと板書に終始した授業です。
教科書をそのまんま読み上げるだけなので、
ワタクシは授業を聞くのを止めて、
一人勝手に問題を解いておりました。
学年のトップを突っ走るK君でさえも、
一番前の席で机の上にガバーッ❗️
と上半身を預けて寝落ちしてましたよ❗️❗️
(※彼は現役で京大医学部に入ったのみならず、その後も快調に進撃して、現在は東京慈恵会医科大学麻酔科学教授を務めております)
そんな、
簡単な授業しかしてないのにもかかわらず、
1学期の中間テストは物凄い難問だらけで全く解けませんでした。
だれも授業を聞かないから意地悪した模様で、
(恐らく生徒じゃなく他の数学の先生から苦情が出て)
1学期末テスト以降はかなり簡単になりましたが。
息子は精神科医!
実は、
1995年愛媛大学精神科に入局説明会に伺った時、
先生の息子さんをお見掛けしました。
そっくりでした❗️
名古屋大学を卒業して愛媛で研修していたようです。
あの糞親父❗
自分の息子の教育には成功しとるぞなもし❗️❗
(出典:tsubasabunko.jp)
ワタクシは精神科に断られて放射線科に入局しましたが、
全く松山というところは、
明治の大昔から、
夏目漱石が【坊っちゃん】を書かずにいられなかった❗️❓️
キツネとタヌキ揃いの土地柄なんですね~
ワタクシも、
イギリス留学の漱石にあやかって、
スコティッシュフォールドを飼い、
メスなのに【没っちゃん】と名付けずにいられませんでした❗
最後までお読み頂きありがとうございます。