皆さんおはようございます猫枕です。
ワタクシは1996年、愛媛大学病院を【スピード解雇】されました。
丁度その頃デビューしたSPEEDの今井絵理子議員が【スピード出世】した模様。
SPEEDのヒット曲に合わせて20世紀末を振り返ってみます。
(出典:excite.co.jp)
デビュー当時、今井絵理子(左端)は中1、他のメンバーは小6、中2、中3でした。。。
BODY&SOUL(1996年8月5日発売)、STEADY(11月18日)
7月の梅雨明けに愛媛大学病院近くのマンションを引き払って、実家に帰り、宇和島病院に月1回外来通院しておりました。
STEADYが流行っていた頃には通院生活に慣れて、月1回の八幡浜市から宇和島市へのロングドライブ以外は文庫本で推理小説を読んで静養しておりました。
社会勉強を兼ねて、社会派推理の森村誠一作品を色々読みました。
大昔の角川映画でよく宣伝されていたけれども、映画も小説も見ていなかった作品を中心に読みました。
WHITE LOVE(1997年10月15日)、my graduation(1998年2月18日)
(出典:high_note Music Lounge)
1997年10月14日から、医師専門職安(言い方が古い❗️)の紹介で長崎県平戸市の病院で働き始めました。
医師の研修ゼロだったので、ほとんど見学ばかりの仕事でした。
人間関係もダメダメですので、ほとんど喋ることなく見学する毎日でした。
そこは僻地の基幹病院で、準看護学校卒業前の実習生❓が3人毎日来ていました。
もうすぐ卒業すると病院のマスコットがいなくなって、病院内に色どりがなくなる。
灰色の研修になるなぁ~
わずかな楽しみがなくなるなぁ~
とワタクシは残念に思っておりました。
そんなこんなで、2月末頃、3人の中で一番かわいい子に声をかけました。
どうせもうすぐいなくなって失敗しても後腐れないし。
『もうすぐ卒業ですね。どこに就職するんですか❓』
『もう就職してるんですが❓』
『え❓ というと、ここにもう就職してるんですか❓』
『はい。後は試験に受かるだけです』
『じゃあ、4月以降もずっといるんですね』
『はい』
文(あや)ちゃんはまさに子猫みたいな顔、スタイル、髪型でした。
果てしないあの雲の彼方へ
私をつれていって
その手を離さないでね
7月13日に突然クビになるまで、ふわふわほのぼのいい関係でおりました。
夜勤で真っ暗な病室の端の奥のデスクのある所で、二人きりでお話をすることもありました。
が、いきなりクビになって全てを失い、即日ワタクシは札幌に翔びました。
ALIVE(7月1日)
遠く離れても
明日が見えなくても
愛を止めないで
この海の果てはやがて青い空へ続いてる
ひとりじゃない
この胸に愛は生きている
札幌から一旦実家に帰って、東京に跳び、近眼手術を7月末と8月末に受けて、9月1日から宮崎県都城市に就職致しました。
で、10月末に初めての彼女が出来たわけですが、平戸の子と築いていた基礎の上に時空を超えて成就したことは言うまでもないでしょう。
その彼女にしても約1カ月の関係でしたが。
しかし、東国原英夫(そのまんま東)元宮崎県知事は都城市出身なんですね~
やっぱり、美人女優と結婚する御方はバイタリティーが全然違います。
例えが悪い❓ですが、今井議員、スピード辞職の危険性もあり非常に厳しい立場のようですが、スピード出世に期待しております。
最後までお読み頂きありがとうございます。