皆さんおはようございます、猫枕です。
今日は一浪時の友達O君が好きだった柏原芳恵のワタクシ的3部作をご紹介します。
1982、3年、
フォークソングの旗手たちに1作づつ曲を書いてもらっていたのです。
(当時はニューミュージックと呼ばれていましたね)
大ヒットの【春なのに】はもちろん、3曲とも甘酸っぱい失恋の歌で感涙します。
後、皆さんには関係ないのですが、
【花梨】という当院患者さんたちの共同生活の家が病院構内にあります。
これは絶対その曲名から付けた名前だとワタクシは確信しております。
ワタクシが広島にいた秋のヒット曲で、
O君も当時随分ご満悦でしたよ。
ワタクシが思い入れたっぷりの【花梨】を施設名にしたのは当然、
広島の件が理由だと思います。
ワタクシも約1年住んだことのある家に【花梨】と名付けたのは粋な計らいじゃないですか❓️
谷村新司【花梨】1982年
花梨 花梨 実らぬ恋
・・・
カリン カリン オモイデノ
カリン カリンノハナ
彼氏はお別れの時、笑顔で手を振って
『僕は必ず手紙を書く』
と言ったが、全然来ません。
彼女はボーイフレンドも作りましたと、
強がって嘘をついたけれどもう疲れました。
というお話でした。
悲しくてもこんなことが吾輩にあったら人生大違いだったでせうね。
ワタクシにはな~~~んもありませんでしたからw
中島みゆき【春なのに】1983年
卒業だけが理由でしょうか
会えなくなるねと 右手を出して
・・・
卒業しても 白い喫茶店
今までどおりに会えますねと
・・・
記念にください ボタンをひとつ
青い空に捨てます
恋人同士だと思っていたけど、彼氏にとって彼女は単なる後輩でした。
お別れなどどうでもいい関係だと思い知って愕然ときましたが、
強がりを言ってボタンを取り上げ、どうでもいい青空に放り捨てたのですね。
松山千春【タイニー・メモリー】1983年
貴方が帰らないうち この部屋出てゆこう
許して 貴方の夢に明日についていけない 私をどうか
・・・
さよなら 私だけの小さな思い出として
自分の夢を一途に追いかける彼氏のことを彼女は愛しておりました。
彼女も年を取って現実的になり、お別れを決行した模様です。
【22才の別れ】みたいですね~
若いうちに楽しい恋愛をエンジョイしまくった末に現実味のない彼氏を放り捨てて、
男を見る目が肥えているため見合い話はトントン拍子でうまいこといっちゃって、
人もうらやむようなご立派な夫婦がお見事に誕生するわけですね~
多分ワタクシがご立派なお医者様になっていれば、
イケイケのギャル時代など知りもしないで、
清楚なお嬢様にヘンシーン❗️しちゃった美女と喜んで結婚したかもよ❓️
最後までお読み頂きありがとうございます。